風水学

令和時代の新天皇徳仁陛下即位の礼を風水学的に考察

 令和時代を迎え、早一ヶ月近くになりますが、まだ手紙や請求書、契約書に日付を記載するとき、平成31年・・・と記してしまい、修正する日々です(^^;
 元号はもともと中国君主制下で生まれた、その時代における皇帝の統治権を示す制度です。前漢の武帝の治世・紀元前115年頃に、統治の初年に遡って「建元」という元号が創始されて以降、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)の時代における「宣統」まで、実に2000年以上も用いられていました。しかし清朝滅亡後、溥儀を皇帝として大日本帝国の統治下にあった満州国にて、1934年に「康徳」が復活しましたが、1945年日本の敗戦により、再び廃止されてしまいました。
 現在も元号を使用しているのは日本だけで、645年の「大化」の改新時に使用が始まり、今日の「令和」元年まで、実に1375年間も続いています。この間、231個もの元号が定められてきました。
 戊辰戦争前(慶応以前)には、吉事の際の祥瑞改元、大災害や大規模戦乱が発生した際には災異改元など、天皇の交代時以外にも改元されたこともあり、南北朝時代には、ふたつの元号が存在したような歴史もありましたが、明治以降は新天皇即位時に改元され、新元号が制定されるようになりました。

 下画像(Wikipediaより転載)は、1989年1月7日に平成への改元がなされた、明仁天皇即位時における「剣璽(じ)等承継の儀」の様子を写したものです。

即位の礼画像(明仁天皇版)

 下画像(Yahooニュースより転載)は、本年5月1日に令和への開眼がなされた、徳仁天皇即位時における「剣璽(じ)等承継の儀」の様子を写したものです。

剣璽(じ)等承継の儀

 ふたつの画像を見てわかる通り、天皇と侍従は代わっていますが、設備環境は全く同じです。特に注目いただきたいのは、三種の神器のうちの剣と勾玉各々を、二人の侍従が新天皇の前に設置してある白木製のふたつの台にそれぞれ丁重にお辞儀をされて供えている場面です。
 ウメサンはこの儀式を、NHKの生放送で拝見させていただいていましたが、女性のアナウンサーが、「今、『案』と呼ばれる台座に供えられました。」と説明していました。とても凛として厳かな儀礼に感銘したと同時に、風水思想と同じだっ!と鳥肌が立つほどの感銘を受けました。
 下画像は、風水の理想的な地形図のひとつです。

龍穴砂水図

 真の龍穴の前面は開かれ、龍穴を守護するように河川が流れており、さらに案山、朝山と呼ばれる山々が存在しています。龍穴を皇帝の座す座席とすれば、案山はその前にある机、朝山は皇帝に拝謁するために集う臣下や官吏達に当たります。日本国語大辞典には、『案』は物を載せる台や机とありますが、案山は英語でTable Mountainと表記されます。
 下画像は、平安京における風水地形図ですが、龍穴砂水という四大原則を満たした、理想的な四神相応の地形となっており、もちろん案山、朝山も南方前面にあります。

平安京と案山、朝山

 朝山の❝朝❞は、「あさ」の他、「ちょう」とも読み、朝する(ちょうする)とは、天子や主君にまみえることを意味します。ですから朝山はあさやまではなく「ちょうざん」と読みます。
 下画像(首相官邸HPより転載)は、「剣璽(じ)等承継の儀」の直後に行われた「朝見の儀」の様子を写したもので、祝辞を読み上げているのが安倍首相。

2019.5.1 朝見の儀

 龍穴に対して、まるで臣下達が拝謁しているように朝山があるのを吉としますが、初めて新天皇両陛下に朝見する首相はじめ参列者の心構え、そして新天皇両陛下を迎えた日本国民である私達の心構えが、令和時代の行く末の良し悪しを決定づけるのだと思わされました。
 憲法9条ゆえに日米関係を強化せざるを得ない中、中国との関係は情勢次第で良くも悪くもなる不安定な関係ですが、風水は言うまでもなく、漢字や暦法など、日本の文化の多くは好むと好まざるにかかわらず、中国が発祥、源流のものです。
 今回取り上げた元号も、すでに中国ではすでに廃止されていますが、日本で継続されています。風水に着目しますと、ウメサンが行っている玄空派の風水で重視する三元九運には、20年、60年の短期中期の周期がありますが、日本では伊勢神宮は約20年ごと、出雲大社は約60年ごとに本宮を建て替える式年遷宮を行い続けています。残念ながら中国ではそうした行事の継続は確認できません。
 日本民族は、中国で誕生した思想や制度、慣習のうち、取捨選択して継続し、時代に合わせて発展進化せしめる天命があるのだと感じざるを得ないウメサンです。

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