9月晦日を迎えて、ようやく今月最初の投稿です。
今回は埼玉県秩父市三峰にある三峰神社についてです。
5月24日に風水探訪をしてから、4か月以上も経ってしまいましたが、さすが関東一のパワースポットとも言われている氣場でしたので、昨日のように脳裏と魂にその情景が焼き付いています。
三峰神社の主祭神は、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉册尊 (いざなみのみこと)です。
神社の由緒によれば、今から千六百年ほど前の4世紀、景行天皇が即位されていたとき、日本武尊(ヤマトタケル)が東征のため、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊と伊弉册尊の国造りをお偲びになり創建したとされています。
その後、景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝えられています。伊豆国に流罪になった、修験道の開祖とされる呪術者の役小角(えんのおづの)が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられている名刹のひとつです。
その後、中世には日光系修験道を経て、室町時代に入ると京都聖護院派天台の修験道の関東総本山となり、「三峰権現」と祀られ、その後江戸時代に至っても大いに隆盛しました。
明治時代に入ると、神仏分離の政策により、「三峰神社」と改称されて今日に至ります。
先ずは三峰神社の沿革を簡潔にご紹介しました。より詳しい由緒は、三峰神社HPをご覧ください。
前書きはここまでにして、訪問時の足取りに沿ってご説明したいと思います。
5月24日、宿泊した秩父市内にある新木鉱泉の宿から車で山道をくねくねと登り行くこと1時間半ほどで、到着しました。大型バスはじめ、数十台は停められる広さの駐車場でした。ちなみに駐車料金は普通車で一日500円です。
駐車場から神社への上り階段の途中に、案内板がありました。
案内板の中に、三峰を代表する三山の写真がありました。
上の写真には、先に記した三峰神社の由緒にある妙法ヶ岳が写っていません。
次の画像をご覧ください。その案内板がある箇所から100Mほど南に寄ってウメサンが撮影した画像には写っています。
次の投稿記事にて詳述しますが、三峰神社から見て巽方(東南方)より、雲取山→白岩山→霧藻ヶ峰→妙法ヶ岳→三峰神社というルートにて来龍(龍脈に沿って流れ来る大地の生氣)となり、三峰神社はまさに龍穴上にあります。
今から1600年以上も前に、日本武尊が創建し、当時の天皇であった景行天皇が龍脈上にある三つの山峰から名付けられた三峰神社ですが、当時地理風水の知識や技法は伝来されていないと思われる中、結果として地理風水の理論通りに尋龍点穴されていることに驚かされます。日本武尊や景行天皇の実在を疑う歴史家もおられますが、実在したにしろそうでないにしろ、創建者の感性の高さに頭が下がるウメサンです。
さて、また神社の探訪に戻りましょう。案内板を過ぎて100Mほど階段を上っていくと、鳥居がありました。
画像をご覧になってわかるように、中央の鳥居の左右両脇にも鳥居が建てられており、「三つ柱鳥居」と名付けられています。ウメサンは初めてこの型式の鳥居に出会いましたが、奈良県の大神神社も三つ鳥居とのことですが、直接見ることができないとのことで、探訪後にブログを書くに当たり調べて知り、大変貴重な鳥居を拝見できたことに感銘しました。
この鳥居をくぐって一歩境内に入ると、空氣(風水的には陰陽交合した生氣)が違うことを体感しました。しばらく上り坂を上がっていくと左手に山門がありました。
この山門は「随身門」と称され、「三峯山」の山号が記されていました。さらに杉木立が両側に続く参道を奥へ進んでいくと、右手に傾斜のある階段があり、その階段の先に三峰神社本殿が建立されていました。
手水屋にて手と口をお浄めし、いざ本殿前にて参拝。
参拝後の探訪は、次回に譲りたいと思います。
次回は風水学的な分析内容が中心となります。
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