五月も早いもので中旬を迎えましたね。二十四節気の立夏を過ぎ、ここ桶川でも、拙宅の周辺ではいよいよ田んぼに水が張られ、田植えが始まる時節となり、まもなく夜ともなれば、蛙の合唱が始まります。ケロケロウメサンとしては、一年で一番元氣をもらえる季節の到来です!
さて、今月最初のブログ投稿は、悪化している日韓関係修復についての持論となります。
術数家の端くれに過ぎないウメサンが、なぜ緊張する日韓関係に関して記事にするようになったかというと、先月起こった韓国の交通史上最悪と言われる旅客船沈没事故が引き金となったことは間違いないのですが、風水学はじめ四柱推命学や易学の各講座で行ってきた、五行理論における五情研究に端を発します。
東洋五術全ての根幹となるのが言うまでもなく陰陽理論、五行理論ですが、全ての事象を陰陽と五行に分類されています。風水学で使用される代表的な事象を表にすると下記のとおりです。
五行の土にあたる五情は一般的に「怨」とされていますが、五行の土性の持つ中央、引力などの象意からして、「怨」ではなく「恨」が正しいのではないかとウメサンは思っています。
怨(えん)、すなわち怨みは、まさに末代までたたってやるぞ!というおどろおどろしい殺気を伴ったまさに怨念ですが、同じ“うらみ”でも恨みの恨(はん)は少し異なります。
世界大百科事典によれば、
「恨とは、朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。 」
とあります。
『韓国人の心 恨(ハン)の文化論』(李御寧(イ・オリョン)著、学生社)には、「『恨』とは、人の内部に積み重ねられた決して消えることのない青白く燃え続ける雪のように冷たい恨みつらみの感情である。」と説明されていました。
ウメサンは風水はじめ術数の業界に専念する前は、旅行業界に携わっていました。中国、台湾、そして韓国にも、添乗業務等で何度となく訪れさせていただきましたが、韓国のホテルの高層階客室から眺めると、たくさんの十字架を目にし、少なからずカルチャーショックを受けました。ソウルのみならず韓国の市内郊外問わず街中には、数多くのキリスト教会(カトリックが1/3、プロテスタントが2/3)があり、総人口の約3割に及ぶと観光ガイドさんが言われて驚いたことを、意外性と共に今でも記憶していますが、ウメサンが旅行業界を離れて早15年経った今も、その様子は変わらないようです。
儒教や仏教の国というイメージでしたので、当初、なぜこんなにもキリスト教が浸透したのかわかりませんでした。
さて、先にあげた「恨」に関する2つの説明を簡潔にまとめると、「恨とは、長らく抑圧されてきた朝鮮民族の心に根付いている心の痛みやつらみ」となります。
しかし、こうした文面からだけでは表面的にしか理解できません。
もう少し奥深く「恨」を知りたいと思い、ネット検索をする中、陶芸家の丸山陶李氏のホームページに次のようにありました。
・・・李朝の陶磁器に魅せられ、その縁で韓国のおかあさんもできたので、私は韓国には特別愛着をもっている。
日本人と違い、韓国の方は感情表現が豊かで、喜怒哀楽をよく表すなぁと思っているが、私が韓国の人の根底に流れている「恨(ハン)」という思想にとても深いものを感じている。
日本人の「怨(エン)」と比較してみると、「怨」は明らかに「相手」に対する怨みであるが、韓国独特ともいえる「恨(ハン)}の思想は、相手を責めるのではなく、自分のやられてしまった心をじっと見つめるという自分への思いだ。
韓国のある学者は、この「恨(ハン)というのは、「物事を考えるときに、すべての原点に還ることだ」と言っている。自分を見つめ、自分と出会う深い思想を、私は感じる。
今、韓国ではキリスト教の勢いが凄い。車で走っている時、周りの風景を見ていると、大きな「十字架」のついた教会の建物が大変多く、とても目立つ。
大変、短絡的な解釈かと自分でも思うのだが、キリスト教も「相手を怨まず、傷付けられても自分を見つめる」というものを持っている。日本よりも、韓国でキリスト教がこれだけ、凄いエネルギーで受け入れられているのも、「恨(ハン)」の思想がある土壌だからだろうか、と私なりに思い巡らしている。
「恨(ハン)」には、とても強く惹かれているので、もっと知りたいと思っている。
しかし、「人を怨まず、自分のやられてしまった弱さを恨むとは・・・」なんと、美しい思想なのだろう、と思うのは私だけだろうか?
この丸山氏による「恨」の解説を通じ、韓国にてこれほどまでにキリスト教がさかんになった理由は、朝鮮民族の誰しも、内的DNAとして心の奥底に遺伝されている「恨」の心があるゆえだと納得いきました。
ここ数年の韓国における国家首脳レベル、民間レベルでの反日感情は、「恨」ではなく「怨」になってしまっており、朝鮮民族の心の奥底に根付く「恨」は本来、「人を怨むのではなく、抑圧されてしまった己の弱さを恨む心」であること、そのことを韓国民族自身が今一度見つめ直し、誇りに思うべきではないか、そして、かつて確かに結果として抑圧してきた我々日本民族も、この「恨」の心をより理解した上で、国家的レベル、民間レベルでの対応をしていかねばならないと痛感させられました。
北朝鮮、中国の脅威にさらされ、集団的自衛権の是非が問われる今だからこそ、日韓関係の修復が必要ではないかと感じるこの頃です。
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