今日から12月、師走になりましたね。
文字通り走り続け、倒れる前に新年を迎えたいと思います。
12月最初(先月は最初で最後になってしまいましたm(__)m)の投稿は、20年に一回の式年遷宮を完了した伊勢神宮について、三元玄空地理の観点より、考察してみたいと思います。
今回の旅は、銀婚式を記念して、阪急交通社主催の25日~27日の二泊三日ツアーに夫婦で申し込み、その第一日目に伊勢神宮参拝がありました。
ツアーには定員いっぱいの44名が参加されましたが、紅葉シーズンと式年遷宮が重なり、大人気のツアーでした。このツアーは、
第一日目に伊勢神宮参拝、
第二日目に熊野速玉神社参拝、熊野古道散策、熊野那智大社、青岸渡寺、那智滝参拝、
第三日目に熊野本宮大社参拝、高野山参拝
という、紀伊半島における世界遺産の神社仏閣を訪れる日程でした。
25日は東京駅に集合し、新幹線で名古屋へ移動、名古屋からは熊野観光のバスで伊勢神宮に移動しました。
伊勢神宮外宮に到着したのはかれこれ15時頃でしたが、ちょうど強力な低気圧が付近を通過中で、風雨が強く、折り畳み傘が何度もおちょこになる嵐の中の参拝となりました。
伊勢神宮については、3年前のブログ
『五十鈴川での禊ぎ&伊勢神宮内外宮参拝(財団法人伊勢修養団の『みがく講習会』)レポート後編』
では、式年遷宮完了前の正式参拝の様子を記事にしていますので、そちらを先ず参照いただけると幸いです。
伊勢神宮の神道的意義と価値や建築的意義と価値については、あまりに深いものがありますが、今回はそれらには触れず、風水学(三元玄空地理術)の見地から私見ではありますが、簡単にその崇高さ、玄妙さの根拠を探りたいと思います。
先ずは外宮(豊受大神宮)を参拝し、せんぐう館を駆け足で見学し、またバスで移動して内宮(昊大神宮)を参拝しました。手水やでの手と口のお浄めもさせていただきましたが、天からの降雨により全身を浄められての参拝でした^_^;
どちらも嵐の中での参拝でしたが、団体客をはじめ、多くの参拝者が来られており、伊勢神宮は日本人のルーツ、心のふるさとであることを改めて実感した次第です。
さていよいよ三元玄空地理術からの見地で考察したいと思います。
一般的に風水の四大原則と言えば龍穴砂水を云い、さらに向を入れた龍穴砂水向を地理五訣としますが、三元玄空地理術においては、龍山向水におけるフォーメーションを重視致します。
龍は言うまでもなく来龍、山は陰陽宅の坐、向は陰陽宅の向、水は水口や来水、去水を指します。
伊勢神宮内宮を太極とした場合、
来龍は朝熊ケ岳より来たる卯龍で、玄空大卦では同人卦(玄空数9、七運)
山(坐)は子山で、玄空大卦では復卦(玄空数1、八運)
向は午向で、玄空大卦では姤卦(玄空数9、八運)
水は五十鈴川の三叉水口で、玄空大卦では師卦(玄空数1、七運)
となります。(下図参照)
卦氣(玄空数)が1と9の天地定位となる合十、卦運は七と八の合十五となり、大吉の格局が形成されています。
まさに伊勢神宮内宮は、天地陰陽父母の生氣が交合し、創造新生の生氣を宿す地であることを証明していると言えるでしょう。
今回の遷宮では、東から西への遷宮でした。
東の御敷地は「米座(こめざ・こめくら)」
西の御敷地は「金座(かねざ・かねくら)
と言われ、東の「米座」に神様がおられる時代は平和で心豊かな「精神の時代」、西の「金座」に神様がおられる時代は波乱、激動、物質欲が強い「経済の時代」として言い伝えられてきました。
近年を検証してみますと、
1973年~1993年の「金座」時代は、「ジャパン アズ No.1」と称されたバブル経済時代、
1993年~2013年「米座」時代は、バブルが泡となってはじけ、デフレの平成不況が続いてきました。
そして2013年、第62回となる式年遷宮により新宮が「金座」へと遷座されたということは、今後20年間は「経済の時代」ということになります。
実際本年は自民・公明党に政権が交代し、アベノミクスによる経済復興の兆しが見えており、式年遷宮の遷座の象意どおりに現象化、遷移をなしていると感じざるを得ません。
ウメサンが知る限り、神社仏閣において、三元派、玄空派が重視する三元九運どおりに、およそ20年毎に建て直しをし続けているのは日本の伊勢神宮だけだと思います。
まさに天運地運の動向に適合せしめたこの神事により、我が国は守護されていると感じてなりません。
そうした日本国の国民として、世界に誇れる神事であり、日本国民であることを誇りに感じた参拝でした。
次回の投稿では、熊野三山について記事にしたいと思います。
年内にはと思っていますが果たして・・・。
良い年の瀬を過ごしましょう!!
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