1/30~31日と広島出張でした。ウメサンの場合、出張時の新幹線内や機内では、鑑定の準備として図面チェックをしたり、お客様の生年月日(時)より命式を割り出して宿命、運命をチェックし、空いた時間は読書ですが、最近はだいたい風水関連や占術関連の専門書を読むことが常となっていました。
しかし今回は、久しぶりにそうした専門書以外の一般書をカバンに入れ、行き帰りの電車内、機内にて読みました。その本は昨年10月に41歳の若さで急逝した金子哲雄さんの遺作『僕の死に方・エンディングダイアリー500日』です。
2011年に身近なお買い得情報を中心とした流通ジャーナリストとして、テレビやラジオの情報バラエティー番組に引っ張りだこの大ブレイクをされたのですが、ウメサンはそうした番組を見ないので、申し訳ないことに、没後に金子さんのことを知った次第です。
生前に戒名もいただき、ご自分の葬式の手配や埋葬地まで決めていた方だということをネットのニュースで知り、就活ならぬ“終活”という語に強く魅かれ、書店で購入しました。
タイトルでわかるように、癌と同じく悪性腫瘍の肺カルチノイドであるという死の宣告を受けてから、昨年10/2未明に逝去されるまでの500日間における、奥様との二人三脚の生活が綴られた感動のドキュメンタリーです。
出張の2日間における電車内、機内、そして帰宅翌日には完読してしまうほど、大変引き込まれました。
金子哲雄さんは1971年4月30日生まれで、命式は下記のとおりです。
生年 辛亥壬 偏官 印綬 死
生月 壬辰戊 印綬 正財 冠帯 天官貴人 羊刃
生日 乙酉辛 偏官 絶
生時 不明
空亡 午未
調候用神 水土
月支正財格
大運 39~48歳 戊子 正財 病
歳運 2011年 辛卯 偏官 建禄
2012年 壬辰 印綬 冠帯
解説)
先(月支)に正財、後に印綬を見る富貴の命。
日干「乙」は辰月春季の生まれで月氣を得ていますが、辰月末ゆえ“やや身旺”。
さらに日干「乙」は月干「壬」(印綬)に守られ強いが、月支の正財は根となる食傷星がなく、また羊刃がついているため弱いです。
しかし39歳からの十年運に正財がきて、日干とのバランスが取れ、“流通”ジャーナリストとして一世を風靡する運勢。実際39歳の2010年庚寅年にテレビに出演され始め、2011年辛卯年にブレイクされています。
2011年辛卯年は、生年干支の辛亥と大半会となり、社会的地位名誉を得る暗示の年でした。
しかしこの年は、生日干支「乙酉」とは天戦地冲となっており、さらに月支「辰」とは「卯辰の害」(害は疾病の暗示を持つ)となり、晦氣の年運でもありました。生時が不明ゆえ、これ以上詳細な判断はできません。
この年、あまりに咳き込むことが多くなり、奥様の強い勧めもあって病院で診察を受けられたのですが、10万人に一人の発症率とされている肺カルチノイド、それも1000万人に一人の発症率とされる組織系のものだと診断されました。ほとんど症例がなく、よって治療法も開発されていない不治の病です。
詳しいことはこの本をぜひお読みいただくこととし、ここでは触れませんが、そうした絶望の淵に立たされた状況で、病名を公開することなくテレビやラジオ出演を続けられ、そして逝去される前日まで、病床での取材と執筆を行われたのです!!
500日間に及ぶ、奥様との二人三脚の生活は、涙なしには読めないドキュメンタリーでした。
生時が不明ではありますが、金子さんと同じ生年月日時刻の方は何千人もおられるわけで、皆さんが同じ運命を辿るわけではありません。裏を返せば、宿命は確かにありますが、人生は宿命どおり決定しているわけではないと言えます。運命は創るものであると言えます。
金子さんはまだ41歳という若さで逝かれましたが、悲喜こもごもが赤裸々にかかれているこの本を読んでいただければわかるとおり、やるべきことは全てやり切り、悔いのない人生であったというのです。まさに短いが太い人生だったのです。
「稚ちゃん、生きることと死ぬことって、やっぱりいっしょだよな。」
もう歩くこともままならず、いよいよ自宅で終末治療をされている中、奥様にしみじみと語られたそうです。
たしかに人はこの世に生を受けた瞬間から、誰しも死と隣り合わせ・・・、生きることと死ぬことはいっしょ・・・、頭の中では理解できても、まだまだ実感できていないウメサンです。
今日は立春・・・、
金子哲雄さんのご冥福を心より祈るとともに、金子さんの残してくださった拙者への宿題を胸に秘め、今年一年、一時一時、出会うお一人お一人、一挙手一投足、丁寧に心を込めて過ごしていきたいと思います。
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