またまたごぶさたしてしまいました・・・。
12日間もブログ更新できなかったのは、昨年眼疾治療のため入院したときを除けば初めての怠慢です。申し訳ありませんm(_ _)m
立春を迎え、子-卯の刑の年を過ぎ、異次元融合を意味する申-子-辰の三合水局の年運らしく、今までとは異なった次元のお客様とのご縁をいただきまして、おかげさまで前回の投稿以降、九州、中国地方、関西、中部地方と、出張風水鑑定が続きました。
とりわけ、風水の本場である中国の最大手企業さんから、風水鑑定依頼をいただいたことには、びっくりしたと同時に、身の引き締まる思いで鑑定させていただきました。
宿命的な運氣が好転したことも大きな要因ですが、やはり相変わらず雨が降ると、まとまって講座や鑑定のお申込み、ご依頼をいただいており、昨年行った陰宅水口工事の恩恵とご先祖への感謝を、つくづく感じてならない日々です。
今回のブログテーマは、中国晋代に活躍した地理師・郭璞(かくはく)の著と云われている葬書の文言を引用しましたが、
・・・風水之法、得水爲上、藏風次之。・・・
を意訳しますと、
・・・風水の法は、水を得るを第一とし、風を蔵すことを第二とする。・・・
となります。
近代までは、陰陽の生氣が宿る地を探索する点穴が、地理師(風水師)の代表的仕事でしたが、尋龍点穴すなわち龍脈を尋ねて龍穴を見つけ出すことから、点穴するには山中を徘徊して探索すべし!という印象を持たれる方が多いと思います。かくいうウメサンも、三元玄空地理に出会う前はそうでした。
もちろん、山中に入って探索することは重要なのですが、水を得ることが第一だと郭璞は断言しているのです。
龍は水を飲みにやってくる!
まさにそうなのです。
上記の文言の少し前に、
・・・気乗風則散、界水則止・・・
とありますが、地の氣は、水(河川)に界されて止まるのです。
取り分け『水口』と呼ばれる河川の合流箇所が重要で、お墓や住居から見て、どの方位(※1)にあるかで、吉凶が分かれます。
さて、毎年立春過ぎにウメサン夫婦は、天海僧正が眠る「喜多院」(右画像は喜多院本堂)に詣でるのですが、今年は2/5(日)に行かせていただきました。
喜多院本堂の南に、小高い丘があり、丘上には「慈眼堂」(左画像)があります。
この御堂は1645年(正保2年)に建立されましたが、1643年に入寂された天海僧正(諡号は慈眼大師 ※2)の坐像が祀られました。
この御堂の背後(西側)に、慈眼大師のお墓(右画像)があります。
30坪ほどの広い墓地には、喜多院歴代の僧正が眠っていますが、その中央にひときわ大きな墓石があり、これが慈眼大師のお墓です。
墓地には門があり、残念ながら中まで入ってお参りはできません。もちろん墓向も正確には測定できませんが、門で下盤(羅経盤での測定)してみると、24山方位で卯向、64方位で臨でした。
喜多院の東南方位には葵庭園があり、庭園内にはホタル池があります。その名称が示す通り、ホタルが生息できるくらい清水が還流している池なのですが、墓地から見て、24山方位で巽、64方位で履に位置しています。
陽宅風水において、財氣を得るため、ある方位に動水(池や水槽や噴水)を設けますが、陽宅風水は陰宅風水の応用で、陰宅(墓地)においては、墓向と水口の位置関係が、家系繁栄没落に大きく影響を及ぼすのです。
詳細は記せませんが、日本史上最高の風水師と云っていい天海僧正のお墓は、玄空大卦理論における「龍山向水」の吉格局に適合していることを驚くとともに、納得したウメサンです。
2/4立春に立てた易が示すとおり、今年は陰宅風水にかなり突っ込んで学究し、実践していく心情がますます高まったウメサンでした。
※1
三元派における陰宅風水は、24山方位だけでなく、64卦方位を使用する。さらには各卦を6等分した384爻方位も使用する。8卦は小成卦、64卦は大成卦と呼ばれ、玄空なる大成卦を使用する代表的流派が、玄空大卦派である。三元玄空地理術も、この玄空大卦の技法を使用する。
※2 天海僧正;
1536年誕生~1643年没。慈眼大師(通称「川越大師」)という諡号を冠するほど、日本仏教史上でも屈指の天台宗大僧正であると同時に、徳川家康のブレインとして、江戸城選定から、家康死後の葬祭、墓地選定を一手に引き受けたとされており、日本史上最も偉大な風水師だとウメサンは認識しています。
この記事はお役に立ちましたか?
★をクリックしてください。
平均評価 / 5. 投票数