風水学 雑記

~母の急逝に対する懺悔録~

ウメサンの母が急逝したことはご報告済みでしたが、
12/12にお通夜
12/13に告別式
を無事に済ませることができました。
両日を通し、母と父の親族や友人やご近所の方々はもちろん、妹の友人関係、そしてウメサンの関連でも、陽明学研究の第一人者である作家の林田明大先生、中國屋の老板でもある(社)国際・風水協会の塚田理事長、そして立命塾を卒業した門人の方々、現在受講中の方々、親友たち等、多くのご参列をいただきました。
ありがとうございました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

母はまだ75歳で、ふつうの健常者であればまだまだ身体も動き、10年は余生を楽しめる年齢でしたが、人生の後半は、40年来の関節リューマチと、その治療薬よる副作用としての糖尿病等との闘病生活を強いられていました。
今年の春くらいまでは、父の助けを借りて、なんとか家の中を移動できる状態でしたが、一度キッチンで転倒して頭を床に打ったことが遠因なのかはわかりませんが、その直後にリューマチからくる肺炎により高熱が生じて救急車で運ばれ、2ヶ月間入院しました。
ウメサンの妹は看護師なのですが、その妹が一時はいよいよお呼びがきたと観念するほどの状態でしたが、母はとても気力、生命力が強く、奇跡的に回復して8月初めには退院することができました。

父と母は横浜の実家にて、私と妹が独り立ちしてからはずっと、30年近くは夫婦水入らずで生活してきました。
横浜の実家は、私が高校を卒業して浪人生活に突入した19歳のときに竣工し、すでに築35年を経過しています。
1975年新築の第6運、坐向は『癸坐丁向』です。
さて、ウメサンが玄空飛星派の風水を会得して、その技法で鑑定を始めたのは十数年前でしたが、3年前までは、一般的な坐向測定法、すなわち建物から2m以上離れた箇所で下盤して、坐向を定めており、その測定結果が上記の『癸坐丁向』です。
方位分割方式も、太極を基点とした放射方位(パイシェイプ)を使用していましたが、この宅運盤を作成すると、玄関は兌宮(西)にあり向が8となります。ガスコンロは辛うじて震宮(東)で坐9向6、母のベッドは坤宮(西南)で坐8向4となり、所謂陽宅三要の門房●は吉ゆえ、安心はしていたのでしたが・・・。
(●は火偏に土で「そう」)

ところが・・・、母が6月に入院した直後に、果たして坐向は以前下盤したとおりなのかととても気になり、7月に実家へ行き、測定してみました。
2008年に出会った三元玄空地理による下盤法で、氣口となる玄関にて測定してみるとナント・・・・・・
建物は木造で、玄関扉も玄関枠も木製ということもあり、また回りも閑静な住宅街ゆえ、磁場に影響を与えるものも近くにないため、従来の測定法とほとんど変わらないと高をくくっていたのですが、それが間違いでした。
坐を示す羅盤の緯線が24山の癸と丑の境界線上に乗る空亡でした・・・
早速、父にも話をし、父はなんとなく理解はしてくれ、吉日時を選んで、玄関坐向変換工事、そしてコンロの位置と向きを変えるリフォームを敢行しました。
家宅の坐は24山で癸、坐卦は風雷益にすることができました。
その効果があったのか、母は工事直後の8月に奇跡的に退院できました。

時は少し遡りますが、今年の初めに、横浜にある梅山家のお墓参りに行きました。今年はウメサンにとって、年干支が天戦地冲、日干支が納音となるため、家族特に母のことが心配でしたので、吉日時を選んで、水晶玉を墓地四隅に埋める風水結界を行うためでした。当家の墓碑は、40年以上前に父が建立し、父方の祖父母が眠っていますが、そのとき、大変ショッキングな環境変化に気付きました。
梅山家のお墓の対面にある〇〇家のお墓の墓地に、以前にはなかった墓誌が設置されており、ナントその墓誌が梅山家の墓碑を射すようになっていました。
当家の墓坐は24山で丑、玄空大卦では父卦の震卦です。震卦に入っているので安心はしていたのですが、今年は八方位で墓向となる西南に五黄が回座すること、その五黄を上記の墓碑による直射が刺激をして増幅することが、とても気になったのですが、さりとて、墓地を移設するのは容易でなく、また対面にある墓誌の位置と向きを勝手に変えることもできず、風水結界は張ったものの、正直不安を完全にはぬぐうことはできませんでした。

そしてその不安は、残念ながら現実のものとなってしまったのです。
母は退院後2ヶ月余り、在宅医療とリハビリを続けましたが、10月下旬に肺炎を再発し、再び入院しました。長い闘病生活に今回の肺炎が重なり、免疫力もだいぶ低下していたせいか、悪いことに院内にてMRSAにも感染し、肺の状態は悪化の一途でした。そして11月の初めの夜中に、入院先の病院から私の携帯に電話が入り、脳梗塞で意識不明となったという知らせを受け、翌朝、病院へ駆けつけました。幸い早期治療と点滴した薬が効いたようで意識も回復しました。
今回も看護師の妹は、今度こそアウトだと覚悟していたようですが、またまた奇跡的に母は回復しました。この病院は1ヶ月しか入院できないということで、11月中旬には、高齢者長期医療の病院に転院しましたが、ちょうど3週間後の今月7日未明に危篤となり、9日8:48に75歳で永眠致しました。

犬猫はじめ小動物が大好きで博愛していた母、夫や子供や孫への情愛も人一倍強かった母の急逝後、母に最も心配をかけたのが他でもないウメサンであり、母の病症を悪化させてしまったという後悔、リューマチという不治の病の重さ、命学家そして風水師でありながら母を救えなかったという現実、自宅はしっかり風水リフォームをしたにも関わらず、実家にももっと早く風水リフォームを行っていれば・・・、墓地を移設していれば・・・等、懺悔と後悔の念に絶えない日々でしたが、この尊い母の犠牲という十字架を敢えて背負い、母との想い出を胸に秘め、命家として、風水師として、もっともっと考究を重ね、そして実践を重ね、日々精進していかねばという決意を固めました。

まだまだ未熟者ではありますが、今後ともご指導ご鞭撻、よろしくお願い致します。

                            ケロケロウメサンこと楳山天心 九拝

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