風水探訪

~江戸城地跡風水考~

またまた久しぶりの投稿となってしまいました・・・m(_ _)m
19日、20日の両日、実践的易学講座を行いました。
易と言っても、易占のための講座ではなく、立命するための学問として、周易の勉強会です。
4月と5月の4日間、土日を利用しての講座ですが、4月は、
・真易とは、立命のための学問
・易の六義
・易の根本思想である陰陽思想と弁証法
・易の根本概念 命 数 中
・易の基礎知識 位 正 中 応 比 過と不及 剛柔 etc.
・64卦の配列とその意義
を学びました。
孔子が「五十易を学べば、もって大過なかるべし。」と論語で語っていますが、ウメサンも五十を過ぎて、ようやく易の奥深さ、玄妙なる法則を、少しずつ実感できるようになってきたと感じています。
語るのはウメサンですが、まだまだ若輩者、受講生の皆さんと易経をテキストとし、天啓をいただきつつ、教え教わることのできる勉強会という場にしたく思っていました。また来月が楽しみです。5月は、64卦ひとつひとつについて、その卦辞、爻辞を中心に、詳しく学んでいきたいと思っています。
さて、今回の会場はいつもの水道橋ではなく、銀座でしたので、講義を少し早めに終えまして、19日はペニンシュラホテル東京、20日は皇居東御苑にある江戸城地跡の風水探訪を、受講生のみなさんと行いました。(画像は、本丸台地からの下り坂。江戸城が、龍脈の終結地である小高い台地上にあったことがわかる。)
皇居東御苑にある江戸城地跡(本丸台地からの下り坂)
江戸城築城直前の江戸は、利根川河口にあったため、その名がつけられたようです。江戸城地を選定するにあたり、家康のブレインであった天海僧正がその任についたことは有名ですが、今の皇居東御苑に決定した要因は、一体何だったのでしょうか?
ひとつは、江戸から見て、南方には多摩川が流れ、八重洲南方には天然にできた良港の江戸湊があり、交通や運送、そして軍事の拠点にふさわしい地であったことがあげられます。(画像は、天守閣跡から撮影した本丸跡地)
江戸城地跡(皇居東御苑)
それだけでなく、“風水師”天海僧正は、江戸は関東平野の中心に位置し、北方に山、南方は海、東方に河川(荒川や利根川)、西方に大道(東海道)が位置する四神相応の地であること、江戸城本丸台地は、武蔵野台地末端の舌状地に位置した龍穴であること、そしてその台地に築城した場合、北方の守りを強固にすれば、堅固な城ができること、また台地の麓には平川が流れ、その河口である日比谷の入江にある八重洲を造成することで、もともとあった田畑をそのままにして、そこに城下町を造成できること、また、治水工事により平川を大きな堀に造成でき、城と城下町を区画できることなどに着眼したのでしょう。
横浜生まれでずっと東京近郊に育っていたウメサンでしたが、恥ずかしながら、江戸城地跡である皇居東御苑を訪れたのは、今回が初めてでした。
講座後に実際訪れ、小高い台地を上り、さらに天守閣跡地から、東京を見渡す中、ここに龍穴が確かにあり、しかしこのままではせっかくの生氣が止まらないゆえに、河川の大治水工事を行い、さらに江戸を大造成し、生氣の止まる地に変えた、すなわち、天地自然の造化を受け入れつつ、その偉大なる創造過程の中で、人間がわずかながらも加担して、江戸の町を創造進化させたという、まさに、「運命を創造し開くべし」という易経の真髄を実感したウメサンでした。

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