戸塚ヨットスクール創始者の戸塚宏氏が、4年間の刑期を終えて出所しました。
戸塚氏は1975年に、太平洋横断単独横断レースにて、世界記録で優勝するなど、輝かしいレース実績の持ち主ですが、その経験を生かして、1976年に、不登校児を中心とした情緒不安定児の矯正のため、戸塚ヨットスクールを開設ししました。体罰肯定の教育論をもって、激しい訓練を課す中、2名の生徒が亡くなり、2名の生徒が行方不明となる事件が発生し、戸塚氏は監禁致死罪の容疑で逮捕され、その後裁判となりましたが、2002年に最高裁にて懲役刑が確定しました。そして、刑期を終え、今年の4/29に出所しました。
出所後の戸塚氏のインタビューを通して、「戸塚はまだ反省していない」と、ほとんど否定的な報道や評論がなされているようです。確かに死者を出してしまった、行過ぎた体罰肯定の訓練は、批判に値する事実であり、猛省が必要です。
出所後戸塚氏は、今も体罰必要論を説いたようですが、体罰するには、質と量が問題で、かつて致死に至らせてしまったのは量が問題であったことを反省すると述べていました。
体罰に関しては、もちろん法律でも禁止されていますが、当然肯定されるべきものではありません。しかし現代の学校教育、特に公立校における教育は、あまりにも生徒個々人の人権を重んじ過ぎ、教師の“師”としての威厳が軽んじられていて、血の通いづらい教育現場となっている気がしてなりません。実は、我が家庭の恥じを晒すようですが、中学生になったわが子と話しているときに、あまりにも先生に対する尊敬の念が希薄だと感じたこともあり、自分の小中学生の頃を思い浮かべながら比較して、ひしひしとそのことを実感してしまったケロケロウメサンなんです。
儒教においては、忠孝烈の必要性を唱えています。忠は本来、君主に対する忠義を指しますが、現代における忠は、師や目上、先輩に対して、尊敬する心と行為だというのが、ケロケロウメサンの持論です。
しかし、闇雲にどんな師であろうと、どんな先輩であろうと尊敬せよということではもちろんありません。師や先輩、目上の立場においても、尊敬を受けるだけの言動が問われるのは当然です。昔のように、位置や地位や立場だけで尊敬せよという時代ではなく、その立場にふさわしい人格が問われる、そう、本物の指導者、人格者が問われる時代なんだと感じます。そういう意味では、いい時代になったのかもしれません。主体と対象を絶対的に分け、対象が主体に絶対的忠誠を尽くすことが良しとされるのでなく、主体が対象に対し、尊敬されるような人格を身に着けねばならない時代であり、そうした人格を身に着けた方が主体となる時代ということではないでしょうか。
ここで、ウメサンが小学校5、6年だった頃の担任の先生のことを取り上げさせていただきます。お名前は斉藤先生です。最近ご連絡していないのですが、ご存命なら80歳近いご高齢になられていると思います。今の私の生き方に、多大な影響を与えてくれた先生でした。斉藤先生は当時40歳前だったと思いますが、子供好きな先生でありながら、なかなか自分の子供に恵まれないご家庭でした。その分、生徒の我々を、自分の子供のように愛してくれたという実感があります。
とても厳しい先生で、全体に迷惑をかける行為をした生徒には、それこそ体罰を下しました。どんな体罰かというと、先生の前に立たせて、「歯をくいしばれ!」と言い、ばしっと両手でほっぺたを挟むようにたたくのです。ばしっ、ぱしんと、その音は今でも耳に残っています。かくいうウメサンも、2回ほど(たぶんクラスで一番少なかったと思います。自慢かな?スミマセン)ですが、その洗礼に預かりました。
当時私はクラス委員をしていましたが、1回は私の過ちゆえで、あと1回は、自分の過ちではなく、クラス委員としての管理責任を問われてのものでした。たたかれる前、先生の前に立ち、「歯を食いしばれ!」と言われてたたかれるまでのその緊張感は、今でも忘れません。そして、たたかれた後、先生の目に涙が浮かんでいたことも、鮮明にウメサンの目に焼きついています。
体罰は肯定すべきものでは決してありませんが、生徒や子供を叱りながら、涙を流してくれる心情熱い先生からの鉄槌は、少なくともケロケロウメサンの人生に、責任感、連帯感という大切なかけがえのないものを、無言で教えてくれたことを感じます。
闘拳亀田三兄弟とそのお父さんのスパルタ教育が話題となっています。戸塚氏も、再び戸塚ヨットスクールに復帰されるということですが、かくいうウメサンも、東京海洋大学時代は海に育てられた感がありますので、海での教育は大賛成です。しかし、体罰でなくスパルタ教育を通して、今度はいい意味での教育界への刺激的存在となってほしいと願っています。
そしてかくいうケロケロウメサンも、立命塾を謳っている以上、とても難しいこと知りつつも、環境が人を育てるという立場と、宿命を知り立命するという立場を重視した教育論にも立ち入っていきたいと思っています。
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