雑記(風水)

TBS「里見八犬伝」を見て思ったこと

 2日~3日は、私の横浜の実家に家族で帰郷し、夜はテレビで「里見八犬伝」をみんなで見ました。
 「里見八犬伝」は江戸時代、滝沢馬琴によって書かれた大長編小説ですが、中学時代に読んだことを思い起こしながら、懐かしく見ました。
 物語の内容は、安房の国の城主里見義実の娘「伏姫」と飼犬「八房」との間に、不思議な力で八つの徳「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の水晶玉が誕生します。 伏姫の死とともにこの玉が八方に散し、やがてそれぞれの玉を持って生まれた八犬士たちが成長し、苦難を越えて一人また一人と因縁の糸で結ばれていることを各々実感しながら出会っていきます。 そして八犬士たちは里見氏のために忠義をつくし、国を守るために活躍するという、いわゆる典型的な勧善懲悪の物語です。
 最後は、滝沢秀明扮する「信乃」達八犬士の活躍により、敵方の関東管領等と和議を結ぶに至りますが、「人間の欲望がある限り、百年先、千年先も戦いが続くしかないのだろうか!?」という問いかけが、このドラマのテーマでした。
 前編後編と2日間見る中、このテーマに対する回答として、私の脳裏に浮かんだのが、老子の説いた「小国寡民」(詳細は2005年12月16日のブログ参照)の思想です。 老子の説くユートピア(神仙郷)は、たとえ鶏や犬の声が聞こえるほど近い隣国であっても、今の衣食住に充足している民は移ろうともしないほどの、争いのない共生共栄共義の小国ですが、昨年の大河ドラマ「義経」、そして今回の「里見八犬伝」を通し、ますます老子が説いて目指したユートピア社会「小国寡民」を追求していきたいと、柄にも無く、何か天命にも似た心境にさせられた三が日でした。
 

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