「人間の寿命は120歳限界説」三千年前に古代中国ではわかっていた!
5月16日の読売新聞朝刊一面に、
増える100歳以上「センテナリアン」、老化細胞を除去で「120歳まで余生」楽しめる時代へ
という記事が掲載されていました。(センテナリアンとは100歳以上の長寿者のこと)
この記事を要約すると下記のとおりです。
老化を予防するという、超長寿社会を健康に過ごすための研究が、世界中で壮んに行われており、日本においては、東京大医科学研究所の中西真教授(分子腫瘍学)が、2040年をめどに老化細胞を除去する技術の開発に取り組んでいます。老化の一因とされる、細胞分裂しなくなった老化細胞は、近年、加齢とともに蓄積し、臓器や運動器に悪影響を及ぼすことが分かってきました。
中西教授は2021年、ある酵素が老化細胞を生き延びさせていることを突き止めました。この酵素の働きを妨げる薬を使ったマウス実験では、筋力の回復や臓器の機能改善といった『若返り』効果を確認しており、人への応用を目指されています。
中西教授は「2050年頃には100歳まで働き、120歳まで余生を楽しめる世の中になっている可能性がある。」と話されています。
いやあ、とっても興味深い研究ですね。ウメサンも齢六十八になり、そろそろ余生の過ごし方や終活を考え始めていましたので、この記事にとっても引き付けられました。
中国では昔から、不老不死を願う神仙思想があります。 不老不死の仙人・神人の住む海上の異界や山中の異境に楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰するに留まらず、神仙にいたるための方法も探求され、 風水にも多大な影響を与えた道教の礎(いしずえ)となっています。
約2200年前に中国統一を果たし、あらゆる権力と富を手にした秦の始皇帝でさえままならなかったのが、「老い」と「死」でした。そこで始皇帝はブレインだった徐福に、不老不死の霊薬を探し出すことを命じました。史実はわかりませんが、日本にも渡来したという伝説が残っているようです。
中国のみならず、インドには五千年の歴史をもつインド・スリランカ発祥の伝統医療のアーユルヴェーダも、不老長寿の実現を目指し続けてきました。
また、ギリシャ神話には、病気や老化もなく長寿を楽しんでいた楽園があり、その楽園の人々は、ヒュペオボレオスの住人と呼ばれていたとあります。
不老不死、不老長寿は、洋の東西を問わず昔から人類共通の願いであったのです。
さて話を戻しましょう。記事の中で中西教授は、120歳まで余生を楽しめる世の中になっている可能性があると答えられています。不老不死までは願いませんが、120歳まで楽しめるのであれば、素晴らしいことですね。ではなぜ120歳までなのでしょうか?
その答えは、アメリカの微生物学者であるレナード・ヘイフリック(Leonard Hayflick1928年~)が1961年に発表した法則「ヘイフリックの限界」にあります。ヘイフリックは、生物学的には人間の寿命は120歳が限界であると唱えました。その根拠は、人間の胎児から採取した細胞が分裂・増殖できる回数が約50回で、寿命に換算すると120年になるということです。老化細胞を除去して120歳まで元気に余生を楽しめれば万々歳だとウメサンは思いました。
人生120歳までか・・・、生物学見解で説得力ある説ですね。
6月12日現在、最も長寿とされる方はスペイン在住の117歳の女性です。ギネスブックには、史上最高齢の人として、フランス人女性のジャンヌ・カルマンさんの122歳164日(1875年2月生まれ、1997年8月没)と記録されています。人類史上120歳を超えて生きた唯一の人類とされており、ここからも120歳が限界であることを示しています。
人生120年、今から60年ほど前に科学的に到達した結論ですが、実は中国では三千年前にわかっていたのです!三千年前に、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支を組み合わせた干支が暦として使われ始め、今日まで続いています。甲子から順に始まり、奇数番の干には奇数番の支、偶数番の干には偶数番の支が組み合わさるため、六十干支となり、年月日時各々別で順番に配当されます。今年は1番目の干「甲」と5番目の支「辰」が組み合わさった甲辰年です。
言うまでもないことですが干支は六十ありますから、60歳の年は生年干支に戻るので「還暦」と言います。還は「元に戻る、ふたたび」の意があり、60歳からまた新たな第二の人生が始まるということで、赤いちゃんちゃんこを着て祝われます。120歳になるとまた生年干支に戻りますが「大還暦」と呼ばれますが、還暦のときのようなお祝いの形式はありません。
生年月日時に配当された4組の干支八字を、中国の代表的運命学である四柱推命においては「宿命DNA」として分析し、その人の性格や特徴、運勢のバイオリズムを読み解いていきます。四柱推命学の理論体系から、人間の寿命は120歳であることを伺うことができます。
四柱推命は生年月日時の干支八字を宿命DNAとして命式表を作成し、その人の性格や特徴、運勢のバイオリズムなどを解読することができます。下表は大谷翔平選手の命式表ですが、命式原局表、大運表、歳運表の3つの表に分かれます。
命式原局・・・性格や特徴、幼少期・青年期・壮年期・老年期のおおまかな状況
大運 ・・・十年運との言い、十年毎の学芸、経済、健康、結婚、家庭などの状況
歳運 ・・・流年とも言い、一年毎の学芸、経済、健康、結婚、家庭などの状況
を表しています。
この3つのうち大運は、人の一生を最長120年として、一年の季節の巡りを対応させた、その人独自の運気のサイクルです。一年は十二ヶ月ですが、人生における十年を一ヶ月に対応させていることになります。人生における季節の巡りを大運の始点となる立運に、生まれた月干支をとるのは必定でしょう。これにより、「生年月日より割り出される立運期間」と「日干と各十年運の干から割り出される通変星」と「日干と各十年運の支から割り出される十二運」が決定し、十年間をスパンとしたその人独自の人生のサイクルができるのです。なお何歳からの十年かは、最初の運期となる立運※により異なります。
そして人生を四季に当てはめると、30年毎に区切ることができます。十二支のうち
寅卯辰の30年・・・季節は春、方位は東、五行は木で東方木運
巳午未の30年・・・季節は夏、方位は南、五行は火で南方火運
申酉戌の30年・・・季節は秋、方位は西、五行は金で西方金運
亥子丑の30年・・・季節は冬、方位は北、五行は水で北方水運
となります。
大谷翔平選手の大運表のみをピックアップしてみましょう。
大谷選手の大運は現在第3運の最後の一年間にあり、季節は秋、西方金運です。秋は収穫の時期で実りがある時期です。西方即ち、アメリカの西海岸、ロサンゼルスに縁があるのも面白いですね。そして金運、もう説明するまでもないでしょう。
人の命運を占断する四柱推命学の基を始めて作ったのは、今から1400年ほど前の中国・唐代の大夫「李虚中」であると言われています。李虚中は、生年月日の干支を対象とした占断法だったので、四柱ではなく〝三柱推命〟であったといえるでしょう。
その後宋の時代初めに「徐子平」が、人の生まれ日を主として六字に分かち、議論精微を尽くし、さらに李虚中の年月日の三柱に時刻を加えた四柱八字として、今日の四柱推命学の原型を完成させました。後の人々はこの中興の祖と言うべき徐子平の功績を讃えて、四柱推命学のことを「子平学」又は「子平の法」などと呼んでいます。宋の時代には、この徐子平によって四柱推命学は多くの知識人の関心を呼び、広まっていくこととなります。
徐子平の功績は、
①生日干支を主とした
②時刻の干支を加えて四柱八字とした
ことと言えるでしょう。
その後に、同じく宋代の徐升が徐子平の法を研究し、『淵海子平』の書を著しました。この書が今日の四柱推命学の原典とされています。
四柱推命学は中国においてその後も、元~明~清と時代を追うごとに発展と隆盛を続けて行きます。特に明代の推命学は量質ともに、最も優れた研究成果を残したと言えるでしょう。明代のものとして今日よく研究の対象となっている書籍は、明の時代初期、重臣であった劉伯温の編とされる『滴天髄』、万育吾の『三命通会』があり、『淵海子平』『滴天髄』『三命通会』は『三書』と呼ばれ、四柱推命学の原典とされています。
この中で最も古い『淵海子平』で既に大運についても解かれており、少なくとも千年前の中国宋代には、人間の寿命は120歳とし、120年の人生を一年12か月の四季に当てはめて人生鑑定が行われていたのです。改めて中国における長い歴史の中で培われてきた学識の深奥さを痛感したウメサンです。
昨今はただ長生きすれば良いのではなく、健康寿命が問われていますが、老化細胞除去の医療が一般化される頃まで生きているかわかりませんが、大病をせず、健康で元気に老いていけるよう養生したいと思っています。
※立運・・・生月干支が割り当てられ、生後父母に養われる期間。この期間により十年毎の区切りの年齢が決定します。
立運の求め方ですが、生まれ日から節入日※2までの日数を調べます。
男性は、
・生年干が陽(甲丙戊庚壬)のとき→生日から次の節入日までの日数
・生年干が陰(乙丁己辛癸)のとき→生日から前に戻って節入日までの日数
女性は
・生年干が陽(甲丙戊庚壬)のとき→生日から前に戻って節入日までの日数
・生年干が陰(乙丁己辛癸)のとき→生日から次の節入日までの日数
を調べるのです。そしてその日数を3で割り、その数を大運の立運とします。3で割り切れない
ときは、小数点以下を十二ヶ月に換算します。
余りが1→ 一年の三分の一で4ヶ月
余りが2→ 一年の三分の二で8ヶ月
なぜ3で割るのかですが、一日の時刻は12刻(24時間)、1ヶ月として360刻、これを十年運とみると36刻が1年運にあたります。36刻は3日になるので、3で割り立運とするのです。
大谷選手は7月5日生まれで生年干が甲ゆえ、未月の節気「小暑」7日までを数えると2日で、これを3で割ると2/3で0歳8か月となります。
※2節入日
各月の始まりの日で、季節とのずれを調整するための指標として、12の節気と12の中気が交互に配された二十四節気のうち、節気に当たる日を指します。
各月には節気と中気がひとつずつ割り当てられ、今年の6月午月の節気「芒種」は5日でした。なお各年により節入日は前後します。
各月毎の節気と中気は下記の通り。(子月=12月 丑月=1月 寅月=2月・・・)
子月 丑月 寅月 卯月 辰月 巳月 午月 未月 申月 酉月 戌月 亥月
節気 大雪 小寒 立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬
中気 冬至 大寒 雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪
追伸
ウメサンの私塾「立命塾」では、プロの鑑定士養成講座として、風水学、四柱推命学、易学の講座を行っていますが、2024年6月22日より、第18期実践的風水学講座が開講します。ご関心ある方はご照覧いただき、入塾をお待ちしております。
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