陰宅風水 風水探偵 風水探訪

~多摩御陵、武蔵野御陵風水考Ⅱ(巒頭風水で考察)~

 昨日は二十四節氣の寒露、露が寒冷にあって凝結しつつあることを意味しますが、北海道あたりはまさにそのような時節ではないでしょうか。拙宅のあるここ桶川は、まだそこまでの寒さではありませんが、朝晩は涼しさを通り過ぎ、だいぶ寒氣が増してきたことを感じます。
 寒露から運勢上は十月に入りました。月初めには擲銭※1をして周易を立て、ひと月の指針としていますが、化爻のない「雷風恒」でした。固く本業を守り、粛々と業務をこなしていきたいと思っています。ついでにサッカーワールドカップアジア二次予選の日本対シリアを試合前に断易にて占いました。解説はこの記事の主旨ではないので省きますが、動爻なしの天山遯でした。PKまたはOGにより1対0での日本の勝利と断じましたが、結果は3対0での日本の勝利でした。スコアははずれましたが、PKでの先制点でしたし、まずまずの効験※2だったかなと思っています。このまま勝ち続け、Eグループを首位通過して最終予選に臨んでほしいと願っています。
 さて本題に入ります。この記事は、8/26投稿記事の続きでして、40日以上も間が空いてしまい、記憶を辿りながらの投稿となります。
 陰宅風水講座の一環としての陰宅実習で、8/23に参拝させていただきましたが、その様子は8/26の投稿記事に記させていただきました。初めてこのブログ記事をご覧になられる方は、先ず8/26の投稿記事に目を通していただけると、内容をより理解いただけると思います。
 今回は武蔵野御陵を巒頭※3の観点から考察しました。
 下の画像は、Google Earthより転載させていただいたもので、武蔵野御陵周辺の衛星画像です。

武蔵野稜 Google Earth

 御陵の西側に森林地帯が連なっており、御陵はその東端に位置していることがわかります。この画像だけでは地理地勢の判別が難しいので、ZENRINの白地図に、巒頭上重要な地名や用語を加入し、掲載しました。

武蔵野稜 巒頭風水図

 上図よりわかることは、武蔵野御陵は、西から東への龍脈である北高尾山稜と西南から東北への龍脈である高尾山稜との合流地点にあることがわかります。御陵は4陵とも四正(東西南北)方位で南向(なお后淳皇后陵は八方位では西南向)となっており、来龍に対して横を向いていることになります。こうした龍脈を横龍と言います。
 武蔵野御陵は当初、47歳の若さで早逝された大正天皇の御陵として建立され、昭和天皇が崩御される前は多摩御陵と呼ばれていました。訪問したとき、4陵の中で大正天皇陵が最も安楽な氣を感じましたが、実習生たちも同感していました。このブログ記事の投稿に際して調べてみて、大正天皇陵こそ龍穴上に建立されていることがわかり、合点がいきました。
 上図をみてわかるように、大正天皇陵の坐方(後方)に小高い山があります。これは鬼山※4と呼ばれ、御陵を背後から守護しています。そして大正天皇陵を左右から守護するように、白虎砂と青龍砂が伸びており、南方には南浅川が腰帯のように、御陵を守るべく流れており、ここに四神相応が完成しているのです。大正天皇陵こそ龍穴上に建立されていることがわかります。昭和天皇陵はじめ皇后陵は、その龍穴地から少し距離を置いたところに建立されています。
 風水の本家本元である中国においては、度重なる戦乱内乱の歴史の中で、風水に則って建立された御陵やお墓が破壊され、ごくごく一部しか残っていませんが、その風水思想を受け継いだ日本国において、千年以上も長きに渡り、天皇家を中心として、風水墓が建立され続け、また守られていることに、風水師の端くれとして改めて感銘を受けたウメサンです。日本こそ唯一、国家的に風水を真摯に守り続けている国ではないでしょうか。日本は国土としては小国ですが、侵略されたことはありません。そうした風水パワーが、少なからず日本の目に見えない守りとなっていることを感じるのは、ウメサンだけではないと思います。
 次回三回目は、理氣すなわち玄空大卦法にて考察する予定です。巒頭だけでなく、理氣的にも適合することを通して、天皇家の崇敬さ、そして日本民族のすごさを実感いただけるに違いありません。

※1擲銭(てきせん) 伝統的には、易を立てるには立筮と言い、筮竹を用いて行うが、時間がかかるため、三枚の銅銭を振って、その表裏により陽陰の六爻を出し、易占することが、台湾や香港の本場はじめ日本でもほとんどである。
※2効験 易を立てて占断したとおりに実現すること。
※3巒頭(らんとう) 地形や自然または人工の造形物(石、森林、、湖沼、建物、、電信柱等)の吉凶や影響を判断する技法。
 中国江西省がルーツとされ、山脈を龍に例え、水(河川)の流れや穴を保護する砂の状態、それらの組み合わせを総合的な形として判断したのが原点である。地勢の実地検分を重要視する巒頭派では、羅盤は補助的なツールでしかなかったようだ。
※4鬼山(きざん) 鬼星とも呼ばれ、楽山と同じように、横からの龍により結んだ穴のすぐ背後、楽山(穴を結ぶ来龍が真後ろからでなく、横から来る場合、穴から表出する生氣が漏れないよう、龍穴の背後で守護する山のこと)より前で穴を守護している山である。龍氣が漏れた余氣により生じ、小さな山であることが多い。詳細は、拙著「陽宅風水術実用大全」の65ページ参照のこと。
 

 

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