間が空いてしまいましたが、拙者の左眼後部裂孔網膜剥離復位手術による入院後記の続きです。
(前回の第一回は、3/29の記事を参照ください。)
2/21日の続き
通常食堂にて食事をするのですが、網膜剥離(右図参照)が進まないよう、なるべく動かないようにとのことでしたので、21日の夕食は、看護師さんがベッドまで運んでくださいました。
夕食後は、なるべく動かず、仰向けになっていました。
21日夜9時消灯。
消灯前、車椅子で移動して、歯磨きとトイレを済ませましたが、左眼の黒い影は昼間よりだいぶ大きくなり、視野は70%くらいに狭まっており、果たして本当に治るんだろうかという不安感に苛まされ、1時間くらいはなかなか眠れませんでしたが、天に祈る中、最悪失明してもそれが宿命なら受け入れていこうと開き直りに近い気持ちになれ、心が落ち着いたのか、いつの間にか眠りについていました。
明くる日22日朝6時に起床
初めての入院生活でしたが、ぐっすりと眠れました。目覚めると、左眼の黒い影は益々大きくなっており、視野が60%くらいに狭まっており、果たして本当に治るんだろうかという不安感に、再び苛まされました。昨夜は開き直れたのに・・・。トイレや洗面は、車椅子を利用しました。
朝食後、朝の回診がありました。通常回診は各部屋に担当医が来られますが、眼疾による入院では、動くことは可能なので、診察室に患者が行きます。私は車椅子で移動しましたが、この頃になると、だいぶ車椅子の操作にも慣れてきました。
手術は午後3時からなので、昼食をはさんで、診察後はベッドで休みました。
昼食後、看護師さんからの指示を受け、手術着に着替えました。
手術の時間が近づくにつれ、さすがに緊張感が高まってきましたが、家内が午後2時頃、付き添いのため着てくれ、だいぶ気持ちも落ち着きました。
22日午後3時過ぎ
ナースコールで呼ばれ、いよいよ手術のときを迎えました!手術着の胸ポケットには、北斗七星の護符が描かれた大衛星の水晶ペンダントトップを入れ、家内に押してもらって車椅子でナースステーションまで行き、手術前の麻酔点滴を始めました。まだすぐに手術ではなく、ステーション内にあるベッドに寝て待機しました。
この頃には、もう視野は50%以下に狭まっていました。
22日午後4時前
いよいよ手術の準備が整ったということで、家内に車椅子を押してもらい、いざ手術室へ。
手術室の自動ドアの前で、妻とは別れました。
22日午後4時過ぎ
執刀医の鈴木副院長、はじめ4名のクルーがすでに待機されていました。
手術室には3台の手術台が並んでいましたが、他の2台では、すでに手術が始まってました。車椅子から降りて、自力で手術台に乗り、仰向けに寝かされました。手足を台に固定され、胸や手足に、心電図や心拍数、血圧の測定のためのセッティングがなされました。
そして左眼は目が大きく開くように器具で固定され、術部の左眼が出るよう、中央が丸く開いたシールみたいなものが上から貼られました。
「ウメヤマさん、それでは始めますよ!1時間半くらいで終わりますから、がんばりましょう!」と執刀医の鈴木先生が声をかけてくださり、いよいよ手術は始まりました。
最初に上から左眼に麻酔液がたらたらと注がれた後ライトの光で左眼が照らされました。
私は気が付かなかったのですが、麻酔液が外部から左眼に注がれた後、眼球に直接麻酔を注射していたと、手術の経過を待合室に映し出されるモニターを見ていた妻が教えてくれました。
そしていよいよ、鈴木先生が手にしたメスの先端が、左眼に迫ってきたのです!
通常の手術と異なることは、眼の手術は見えてしまうという恐怖感があることですね。実際、メスが迫ってきたときには「うわっ~~!」と声は出さなかったですが、心の中で叫んでしまいました。
眼球にメスが入るや否や、視界は閉ざされ、暗闇になりました。
その後の手術の様子はよくわからないのですが、耳に聞こえてきた鈴木先生と執刀助手の関根先生のやり取りからの想像では、先ずゼリー状の硝子体(しょうしたい、下の眼球断面図参照)を全摘出する作業をなさったようでした。
しかしこの作業には相当ご苦労されていたことが、お二人のやり取りを通じて感じました。通常はさほど苦労なく、硝子体を眼球から取り除けるらしいのですが、ウメサンの場合、硝子体の数か所が、網膜(左の眼球断面図参照)に癒着していたようで、無理矢理に摘出しようとすれば網膜もいっしょに剥がれてしまうため、拡大鏡で見ながら、小さなカッターでくっ付いた部分を切り取りながら、徐々に眼球外に摘出しなければならなかったようです。
おまけに、途中でカッターの切れ味が悪くなったようで、「いやあ~、なかなか切れない!」という先生の苦戦されているお声が聞こえ、その時は正直、手術は成功するのか!?と、不安にかられたことは事実でした。
鈴木先生が悪戦苦闘されている中、助手の関根先生から、「カッターを新しいものに替えてみましょう。」という提案の声が聞こえ、新しいカッターに替える作業に入られ、しばらく間が空きましたが、「新しいカッターがぜひ功を奏しますように。」と、ウメサンは心の中で必死に祈りました。
新しいカッターに付け替えられ、手術が再開しました。「うん、今度は切れるね。」との鈴木先生のお声が神の声のように聞こえ、ほっとしたウメサンでした。
とは言え、一、二か所ではなく、数か所の癒着があったようで、先生はかなりご苦労されているご様子でした。後日談ですが、手術後の診察時に、「大変難度の高い手術でしたね。」とおっしゃっていました。実際、通常は1時間から1時間半で終わる手術でしたが、実際には2時間以上かかりました。
網膜との癒着箇所の切断と、切断時に硝子体の微細な残片が多数生じ、それを取り除くのにお時間がかかったようです。
硝子体全摘出後、暗闇の中で、強い小さな光が時々網膜に反映したのか見えましたが、剥がれた網膜の復位のため、レーザーを使って部分部分を焼き付けされていたようです。
さらにその後、水晶体(上の眼球断面図参照)も白く濁る白内障を併発していたため、水晶体も摘出し、代わりに人工レンズをはめ込んでいただきました。
「ウメヤマさん、人工レンズが入りましたよ。あと少しで終わりますね。」という関根先生の声が聞こえました。
22日午後6時30分頃
最後に、眼球の切ったところを縫い合わせ、眼帯が付けられ、手術がようやく終わりました。
身体にセッティングした計測用の電極などが取り外され、ようやく手術が終わりました。完了したときは午後6時半を回っており、2時間以上の手術でした。
眼部の手術としては、とても長時間だったようです。
「ウメヤマさん、手術は無事に成功しましたよ。」と鈴木先生に声をかけていただき、正直ほっとしました。
さらに鈴木先生より、「剥がれた網膜が完全に復位するために眼球にガスを注入しましたので、これから2時間はうつ伏せで寝ていてください。その後は左半身を上にして横向きに寝てください。」とのご指導をいただきました。
車椅子に乗って点滴台を片手で押しながら、看護師さんに手術室外の待合室まで連れて行ってもらうと、家内が笑顔で出迎えてくれました。
22日午後7時頃
車椅子で家内に病室まで連れて行ってもらい、病室に用意されていた夕食をいただくこととしましたが、患部に痛みがあり、精神的にもかなり疲れていたし、うつ伏せで寝たままの姿勢ということもあり、あまり食欲もなく、残した半分は家内に食べてもらいました。
22日9時消灯
消灯時間前に家内は帰りました。痛みもあり、心身ともにかなり疲れていたため、トイレ、洗面にも行く気力がなく、術後2時間は経過したので、左半身を上にして横向きに休みました。
以降、次回に続く…。
(今回は、手術の経過中心のレポートになってしまいましたm(__ __)m 次回は、立春に立てた易との関連を含め、入院中に悟った内容を記させていただきたいと思います。)
註)図は、参天製薬㈱提供の小冊子『網膜剥離の症状と治療』より転載
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