風水探訪

~東京下町の観光スポット・浅草寺の風水学的考察 その2~

師走を迎え、気ぜわしくなってきたこの頃ですね。
ウメサンも、通常業務のほか、HPの全面的リニューアルに取り掛かっており、師走らしいあわただしさとなってきました。一番の原因は、忘年会の乱立かもしれませんが・・・(笑)

さて浅草寺に関する風水学的考察の続きです。
理氣的には浅草寺本堂に関しては、向の向星(水星)が五黄のため、少なくとも5運期以外は凶格となるのですが、ではどうして年間3000万人も訪れるほどの賑わいを見せているのでしょうか?

その理由を、その1の最後にあげた3つのキーワード
・ご本尊である聖観音像
・山門
・巒頭風水
を絡めて考察したいと思います。

先ずは巒頭からの考察です。
富士山をHUBとする龍脈は丹沢山系を辿り、平地に潜りつつ皇居を龍穴とする艮龍(東北へ向かう龍)です。しかしこの龍脈は皇居で留まることなくさらに東北へ北上し、浅草界隈まで進んで、隅田川で留まっていると思われます。
浅草寺の東北約500mのところに、ここが浅草か?と疑う小高い丘が隅田川近くにあります。

待乳山聖天

この小高い丘は、595年(推古天皇3年)9月に突然と隆起して誕生し、龍が守護していると伝えられており、浅草寺の山号(金龍山)の由来となっているようです。そしてこの丘の上には、十一面観音菩薩を本地仏とする待乳山聖天(まつちやませいてん)があります。
浅草寺の山号「金龍山」の由来と地勢図から、
鳥居前から待乳山聖天を臨むこの待乳山聖天のある丘が、富士山からの艮龍の終結地点となる龍穴ではないかとねらいを定め、11/29に訪れてみました。
浅草寺から歩いて10分弱、たしかにここが浅草かと見間違う小高い丘が見え、待乳山聖天という石碑が建立されていました。参拝客はまばらで、浅草寺のような賑やかさはありません。階段の上り口には鳥居があり、そこをくぐって何十段か上がると本堂が丘の上にあり
待乳山聖天本堂ました。
早速参拝をしましたが、黙祷していると、とても清々した気持ちになることができました。この聖天こそ、艮龍の集結地点となる龍穴であると確信しました。
皇居の中にある江戸城地跡と同じく、『突穴』という、平地上に盛り上がった丘状の龍穴です。

鎮護堂敷地内から伝法院の回遊式庭園を臨む待乳山聖天を後にして再度浅草寺に戻りましたが、この日は伝法院の庭園そばにある鎮護堂の山門が開かれており、中に入ることができました。中に入るとフェンス越しに、江戸時代前期の作庭家として有名な小堀遠州の作とされている回遊式庭園が見えましたが、山門の前にあるオレンジ通りから山門を抜け、この庭園にある池に向けて生氣が流れ込んでいるのを体感できました。9/4にopenした「風水改運中心」の浅草店は、生氣の通るオレンジ通り沿い、この山門のすぐ前にありますが、さすがだなと感心しました。
皇居とこの待乳山の2つの龍穴の間にあって、富士山から発した艮龍上に乗る浅草寺は、待乳山の金龍に守られて繁栄しているのだと確信した次第です。
以上が巒頭風水の観点からの考察です。
残り2つのキーワード「ご本尊である聖観音像」「山門」に関しては、近日投稿したいと思います。

                                    その3へ続く>>

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