本日、光市母子殺害事件に対して、広島高裁が死刑の判決を言い渡しました。
その後の被害者夫である本村洋さんの会見をテレビで見ました。
「死刑判決は妥当な判決で、高裁に感謝しています。」との第一声のあと、
9年という長い歳月の末、求刑通りの判決が出たことに対する感想を問われて、
「被告が死刑になることで、被害者と合わせて3名の尊い命が失われる結果となり、それは社会にとっての大きな損失です。9年間という長きに渡って、裁判で争う中、私たち被害者家族だけでなく、国民の皆さんが、18歳の少年が犯した凶悪犯罪への断罪に関心を持たれ、命の尊さ、死刑の是非を考えてくださったことは意義があり、これをきっかけとして、こうした凶悪犯罪がなくなる社会が築かれることを願っています。」というような主旨で、はっきりとした口調で堂々と語られている姿を見て、ウメサンは心打たれました。
最愛の妻と子を同時に殺害された本村さんの無念さは、計り知れないものがありますが9年間、事件と加害者に向き合い、時にバッシングを受けながらも、初志貫徹して主張されてきたことは、容易ではなかったでしょう。
事件当時まだ23歳であった本村さんは、妻と子の仇をうつ!と感情を露とされましたが、若さと最愛の2人を失った悲しみからして、無理ない感情です。
その後9年間という長い審理期間の中で、本村さんも32歳となりましたが、会見の中で本村さんが語った「加害者に求刑通り死刑判決が下ることで、私自身もその十字架を背負って生きていきます。」という決意に似た言葉を聞き、この9年間の中で、己の心に沸いて来ざるを得ない怒りの感情を徐々にセーブしつつ、死刑求刑の是非を自問自答し、戦ってきたのだろうと感じました。
私の脳裏には、イエス=キリストと、聖書に書かれているイエスのことばが浮かびました。
「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である。」(新約聖書 マタイによる福音書第5章13~14節)
くしくも9年前、“光”市で起きたこの凶悪事件は、その市名に反して、当時世の中を暗くしました。そんな中、本村さんが、世の光とまではいかなくても、少なくとも地の塩となり、世論を動かし、司法をも動かしたと実感したしだいです。
まだ刑が確定したわけではありませんが、今回の死刑判決を通して、死刑の是非を深く考えさせられた次第です。特に今回の犯人は、当時まだ18歳1ヶ月・・・。
食事中家内に、本村さんの毅然とした言動に感銘したことを話している最中も、家内はただうなづくだけで、あまり同調する様子ではありませんでした。
一言だけ家内がもらしたのは、「まだ18歳・・・、ほんと、まだ子供だよね。」
ウメサンんちにも、17歳の息子がいますが、まだまだ心身ともに成長途上です。
ほぼ同年齢の息子とだぶらせながら、母親としての複雑な心情の一端を垣間見て、私も言葉が続かず、沈黙の食事の場と化してしまいました。
本村さんも、この判決を通して、生涯十字架を背負うことを決意されていましたが、まだまだ心身共に発展途上の子供が犯したこの凶悪事件は、大人すなわち社会に責任があることを痛感させられました。
凶悪犯罪が多発する中、犯罪抑止力としての法の厳罰化はやむを得ないと思っていますが、青少年が健全なる成長のできる社会環境を築けるよう、微力なからも一人ひとりが自覚を持たなければならないと、悔い改めさせられたウメサンです。
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